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日本郵船株式会社 日支連絡船 長崎丸 上海丸 (日本郵船)

日本郵船株式会社 日支連絡船 長崎丸 上海丸 (日本郵船)
絵葉書番号 Y65-001 
大分類 客船・ 貨客船 
小分類 日華連絡船
タイトル 日本郵船株式会社 日支連絡船 長崎丸 上海丸 (日本郵船)
★は「組絵葉書タイトル」
◇は発行元など
◇日本郵船株式会社 
*は撮影年
無印は絵葉書の投函年
*1925年(T14)~1938年(S13)の間 
*印は撮影年推定根拠
無印は投函年推定根拠
神戸~長崎~上海間で運航された期間(内容欄・備考欄参照) 
内容 <Wikipedia「「日華連絡船」より抜粋>
「日華連絡船」(長崎丸と上海丸)は、かつて日本郵船(のちにS15に東亜海運へ移管)により神戸、長崎と中国・上海との間で運行されていた国際定期旅客航路 /  「日支連絡船」「上海航路」とも呼ばれ、戦前における日本と上海を結ぶ重要な航路のひとつであった / 第一便は1923年(T12年)2月11日長崎出航の「長崎丸」、長崎丸、上海丸とも最高速力は約21ノットと当時としては快速の貨客船で、長崎上海間の所要時間26時間、運賃18円(3等) / 長崎では航路開設を記念した美術展、物産展開催、商店街大売り出し、旗行列、提灯行列、花電車の運行、ペーロン大会などが行われた / 1924年(T14年)5月からは航路の起点を神戸港とし、利用者は順調に伸び始めたが、日中戦争開戦翌年の1938年(S13年)には航路の起点が長崎港に変更され、長崎~神戸の運行は取りやめとなった。1941年(S16)10月、航路強化を目的に神戸丸が就航したが、1942年(S17年)に長崎丸と神戸丸が、翌年には上海丸が失われ、日華連絡船は誕生から僅か20年余りで事実上の終焉を迎えた。 
備考 1銭5厘切手 / <船内郵便>KOBE消印(13.12.26)/ 英語で「神戸長崎間21時間、長崎上海間24時間」の記載あり
 
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