絵葉書番号 | Y71-012 |
大分類 | 陸軍 |
小分類 | 戦地で |
タイトル | 広安門を突破し散開せんとする我部隊 |
★は「組絵葉書タイトル」 ◇は発行元など |
◇大連観光協会・満州日日新聞社発行 |
*は撮影年 無印は絵葉書の投函年 |
*1937年(S12) |
*印は撮影年推定根拠 無印は投函年推定根拠 |
消印(大連中央 12.9.1)+受取人住所 |
内容 | 皇軍慰問資金募金愛国絵葉書 ( 日中戦争初期、北京の広安門事件後の日本軍の攻撃(S12.7.28)の際の写真か?) <Wikipedia「安広安門事件」(2019年現在)より>)広安門事件(こうあんもんじけん)は、日中戦争初期(北支事変)の1937年(昭和12年)7月26日、中華民国冀察政務委員会の支配地域であった北平(北京市)で起きた国民革命軍第二十九軍[1]による日本軍への襲撃事件。 ハガキの文面「・・・日支事変で相変わらず内地の皆様もラヅオに新聞に緊張しておられる事でしょう。日を追うに従ひまして皇軍のいさましい戦況を目に耳に私たちもジットしていられなくなりました。 北支事務所が(満鉄に)出来まして約一万の人員が繰り出されました。やがて戦終われば五万人の人を配置することに御膳立てが出来ました。もう大分同僚が先発しています。二三日中に内地より〇〇さんが上陸、拙宅にも二人宿泊を市役所より指定してきました。大連の邦人宅は殆ど全部、この○○さんの宿に当てられます。、私たちはこころから○○さんを歓待してやらねばなりませんと思います。・・・」 <注: ○○さんは伏字だが、「兵隊さん」か?> |
備考 | 2銭切手 / 消印スタンプの文字「安心を小金で買ふは保険なり」 / 印刷文字「許可済」、 |
モノクロ/カラー | モノクロ |